おおたにわたり
清々しい緑の葉の両側が少しびろびろして波を打つさまを見て、「海の中に生えて陸に上がった昆布みたい」と思ったのは、おおたにわたりの葉を初めて手にした中学生の私でした。ちゃせんシダ科のシダの仲間です。幅広のつややかな葉の裏には光沢はなく、黒くて固い中央の葉軸から両側のふちに向かって線のような茶色いものがたくさん出ています。茶色の粉のようなものも出てきて、その線のようなものが胞子嚢だと知らなかった私は手で触るとき少し勇気がいりました。森の中で樹の幹や石に着いて成長し、谷を渡るように伸びることからたにわたりという名前になったといわれます。
切った葉の他、観葉植物として鉢でも入手可能で、アビスという名で葉の丈が短いものも出回っています。
長くても1メートル位の葉の長さのものは日本でも見慣れていました。しかしタイのバンコクで、ホテルの持ち主の邸宅の庭でみたおおたにわたりの鉢植えは見事なものでした。中心から放射状に伸びた一枚の葉の長さは1メートル半もあろうかというもので、中心をのぞき込むと幼い葉がたくさん伸びていました。日本でも南にいけばこの新芽の部分を天ぷらにしたり、オイルでいためたりするのだそうです。
戦前に東京の女子大に留学なさったこのホテルのオーナーは、蘭をはじめとして熱帯の木や花がたくさん植わった庭を案内してくださいました。日本から迎えた貴人も、このたにわたりにたいそう興味を持たれたという話を「もう日本語はほとんど忘れてしまって」と言いながらも一生懸命してくださいました。絹の黄色いシフォンのブラウスをふわりとまとったこの小柄な夫人が、たくさんのたにわたりの鉢の間をゆっくりと歩いていくと、気が付いた庭師や従業員の方が尊敬のまなざしで、手を胸の前に合わせて挨拶をし、通りすぎていきました。
木造の高床式の邸宅は今、その事業と遺志をひき継いだ娘さんを中心としてタイの建築と生活文化を見られるような博物館に改装中という話を聞きました。あの,たにわたりはまだあそこにあるのでしょうか。風におおらかに揺られ、心地よさそうなおおたにわたりを見に、バンコクにまた行きたいと思いました。(光加)